2022/08/28

ここ数週間、死んでいた。
形としての「死」ではなく、社会としての「死」だった。
自分を救えない、他人を救えない、は頭の中に深く、形のどうあれを完泳せずとして死として残り続けるもので、それは社会への諦めでもあった。
希望を見つけることに関して自身があるとしても、もう 0を自分に突きつけて認めていた。そう仕向けていた。 自分の選択が誤りだったとして(として、というより現時点ではそうだったと認めるとして)、誰かを傷つけている事実は変わりないということがある(と思っている)ので、認めるしかなかった。事実として人を不幸にする未来しかなかった。 
死ぬのは自分1人で良いと認めるとしてもその検証に誰かがいるなら犠牲がある訳で。それはもう1人で良かった。というより、それで収まるなら良かった。 その前提を抜きにしても、あなたが昼ご飯何を食べたかいつまでも、いつまでも想像していたい。は変わらなく生き続けた。
誰とも幸せになって欲しくない。そうなのに。そうなのに。幸せを願った。
そうではない本心び一部が占っていく。どうか幸せに。